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証しをする為に遣わされて

欧州の冬は日が短く、雨天曇天も続くことから、どうしても暗いイメージがつきまといます。加えて終わりの見えないCOVIDの災禍もあり、ここ数年は以前にも増して、冬の重さが感じられるような気がします。


そんな時、長調の讃美歌を歌うと、心の中には日の光が差し込むような、温かい感じになるのは、私だけでしょうか?


さて、キリスト者の話の中には、神様と劇的な出会いをしたという話が少なからずあり、そのような話を「証し」てくださる方にも出会います。

そんな時、神様の大きさ、強さ、やさしさを感じるとともに、「自分にはそんな話はないなぁ」と、信仰者としての自信を無くしてしまう…そんな考え自体、筋違いなのでしょうが…私にはなんにもないなぁ、とつい思ってしまう自分がいます。


今日与えられた聖書箇所はヨハネによる福音書1章6-8節、ヨハネが光について証しをする為に遣わされた、と記されている箇所でした。ヨハネがどのような証しをしたか、具体的なことは福音書を読み進めれば書いてありますが、ここでは端的に、「光について」証しをする為に遣わされた、とだけあります。


「光について証しをする」ことは、即ちイエス様について、神様について語ること。神様が、人を愛するあまり、大切なひとり子であるイエス様をこの世へ下し、イエス様は私たちを救うために、人類の罪を背負って十字架にかけられた、と言うことを伝えていくこと。


突き詰めてみれば実はシンプルなことで、劇的な神様体験を直接には経験していない私のような人であっても、「救われている」ということへの感謝を絶やさず、神様の御心に適う生活を心がけていれば、それが即ち「証し」となると言われているような気がします。

そして、説教の中で取り上げられた老夫婦の逸話ではないけれど、毎週日曜に教会に集うこと自体も、まだ神様に出会ってない人たちに対して私たちができる「証し」なのだと感じました。


ブリュッセル教会は、2月6日から集会を再開させる方向で、現在調整を進めています。

オンラインでは味わえない「教会に帰る」という感覚が、今から待ち遠しいです。

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